【ブランド魂:シャネル編】3冊の本から知るシャネル

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誰もが知ってるハイブランド、CHANEL
でも、どれだけ知ってますか?シャネルのこと。

「私、シャネラー(全身をシャネルブランドで装う人)なんです!
もちろん、シャネルのことは全て知ってます!」

と、いう方も、
「いや~、ハイブランドには興味なくて。
シャネルって名前とロゴ(ココ)マークくらいは知ってますけどね。」
と、いう方も、

CHANELというブランドの創設者、ココ・シャネルの人物像を
独自の視点をちょっぴり交えて3冊の本より炙り出してみました。
ぜひ最後までおつき合いを!

参考図書
・シャネルー最強ブランドの秘密(山田登世子著)
・シャネルの真実(山口昌子著)
・齋藤孝の天才伝6シャネル(齋藤孝著)

CHANEL
出典先:http://sphinxis.com/?p=35

本名:ガブリエル・ボンヌール・シャネル(愛称:ココ)
誕生:1883年8月19日(獅子座)
フランス・ソミュールという小さな町で生まれる。
幼年期、少女期を修道院の孤児院で過ごす。
ここで、厳しい教育と孤独を覚える。

苦労した幼少期だったのですね。でも田舎で育ったことも、後の彼女のスタイルの元になってきます。
マイナスに思われることも、ポジティブに捉え、それを生かすことが素晴らしいです。

ちなみに、「ココ」と言う愛称はムーランの売れない歌手時代の愛称らしいです。
ミネラルウォーターの売り子等もやっていたそうですが、一流のお針子でもあったのが
後のシャネルを立ち上げる道に繋がったのです。

1910年パリに初めての店を構える。
初めてのお店は帽子屋さんでした。
1913年には
フランス北西部の海岸にある、エレガントな保養地「ドーヴィル」に2号店を構えます。
この店が大成功を収めます。

時代背景は第一次世界大戦が1918年に終戦。
1940年にはヒトラー率いるナチス・ドイツがフランスは占領。
いろいろあって(ここは省きます)1954年にファッション界復帰を果たします。
翌年、シャネル・スーツを発表し、アメリカでモード・オスカー賞を受賞します。
1971年、87歳で亡くなる前日まで仕事をしていたそうです。

苦労した幼少期、また2度の戦争を体験し、シャネルさんは、大変な時代を生き抜いたんですね。

そんなシャネルさんの一貫した強い信念と、印象に残ったエピソードなどを紹介したいと思います。

1)ゴージャスさを嫌悪

高級ブランドといイメージの「CHANEL」ですが、意外にもゴージャスとは真逆の思想を持っていました。
「毛皮」はゴージャスの象徴で、もし、シャネルが毛皮を使うなら、裏地で、見えないところで使うという発想です。
「宝石」も使いません。敢えて言うなら、「本物の宝石」は使いません。貴金属以外の宝飾品を使います。これは、現代でいう「アクセサリー」です。現代の身近にある「アクセサリー(本物の宝石を使わない)」は、シャネルが創始者と言っても過言ないようです。これは、ちょっとびっくりでした。

シャネルの代表作のひとつ、シャネルNo.5(香水)も、数ある試作品の中から、5番目だったからこの名前にしたそうです(諸説あります)。またパッケージもその時代の凝ったものに反して、シンプルな物でした。田舎育ちのシャネルは、故郷の森の木なら枝一本の匂いを嗅いだだけでわかるという嗅覚の持ち主だったようで、このNo.5には相当な自信があったようです。

2)チープさは嫌い

ゴージャスさを嫌悪と言いましたが、チープさも好きではありませんでした。
シャネルの服はアメリカで大流行しましがた、当時のアメリカではチープな粗悪品が多く、1度洗濯しただけでボタンが取れてしまったりしていたようです。
最低でも5年は着られる品質の良いものを作る。
これがシャネルが考えていた大衆の為の服、働く女性の為の服でした。

3)自分の使いたいものを作る。自分の感性が基準!

マーケティングなんて、全然しません。いいんです。
「私が作りたい物をつくれば。」
すごい自信家です。でもその発言通りになっているんです。
例えば、「ビーチでサンダル履くと熱いわ。コルクを底に貼ってちょうだい」といえば、10年後、ニューヨークのスポーツショップのウインドウにはコルク底サンダルがずらっと並んでいたらしいです。

カラフルな物が流行していても、一切お構いなし!色のゴージャスさを嫌い、黒と白のモノトーンで服を作り大流行させました。

また、「外で化粧直ししたいわ」ということで、スティックの口紅をチューブに入れて持ち歩いていました。それが後のプッシュアップ式の口紅に進化しました。
またある時は「手にバッグを持っていると落としそうで心配だわ」と言うことで、バッグに紐やチェーンをつけショルダーバッグを作りました。

今、何気なくある身近な物も、シャネルが考えていたんですね。すごい!

また、こんなエピソードもあります。
インタビューされた時、シャネルはショートカットにしていて、世間ではシャネルを真似してショートカットが大流行しました。
インタビュアーは「ショートカット、流行っていますね。」とシャネルに言いました。
するとシャネルは怒りを込めた口調で
「ショートカットが流行っているんじゃないわ。私が流行っているのよ。」

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出典先:http://by-s.me/article/126666476512611031

4)女性のための、女性が素敵と思う服作り。

生涯シングルで、キャリアウーマンだったシャネル。彼女の根底には「女性が素敵と思える女性像」がはっきりとしていました。男性から見た素敵な女性ではありません。
そこで、「自由で活発・アクティブな女性のためのシンプルなエレガント」をコンセプトに、
自分の体験から発見した素材「ジャージー」を開発します。
きっかけは、こうでした。寒かったので、男物(恋人のかも?)セーターを着てみました。
ウエストをハンカチできゅっと絞って。
それが、誰一人、男物を着ていると気がつかなかったそうです。
そこでシャネルはひらめきました。
ニットっていける!動きやすい!そこから実用的な伸縮性のある素材、
ジャージーを使う洋服をデザインしました。
ジャージーを取り入れることによって、女性の体を解放したとも言われています。

シャネルは奇抜なもの、過剰なものを嫌います。シンプルで、実用的なデザインにこだわりました。
紳士物は機能的に出来ているので、紳士服からヒントを多くもらったようです。
シャネルの服は特にアメリカで大流行したというのも面白い事実ですね。

5)コピーを喜んでいたという事実

今、世の中にはハイブランドの偽物(コピー品)が溢れています。
勿論、シャネルも自社製品としてのコピー品には「ノン」でした。
しかし、デザインは大いに真似してというスタンスでした。
その時代、世間では著作権擁護に向かっていたのに、不思議ですね。

では、なぜシャネルはせっかく自分が作り出したデザインを真似してもいいと思ったのでしょう?
そこにはシャネルならではの考えがありました。
「よく出来た服とは、誰にでも似合う服である」→すなわち、真似しやすい服であるという考え。
それと「モードは、はかなければ はかないほど 完璧なのだ。最初からない命をどうやって守るというのだ」という言葉を残しています。この意味は、モードは時代の雰囲気から生まれ、ストリートでつかの間輝き、また次の風に運ばれて行く…と、いうのです。
最近では日本でも、ある女性代議士が「シャネルは1着も持っていません。」と、シャネル風スーツを着ていました。
また、皇室の女性が着ているのは「シャネルではないか」と噂もたちましたが実際はシャネル風でした。
こういった風に、シャネルは自分のファッションがストリートで生きることに喜びを感じていたそうです。
生きたファッションとでも言うのでしょうか?
また、「コピーされるには、シャネルが作るオリジナルは完璧でなくてはならない」という自社製品に対する強いプライドと信念があったから、そう思えたのかもしれません。

6)シャネルが考える本当の贅沢で良い物とは

シャネルは田舎育ちです。見せかけの豪華さではない、昔から変わらない物に美しさを感じたようです。
例えばイギリス貴族であり、当時世界一の金持ちと言われた方と恋をしていた時、
豪華客船で旅をしていました。
その際、イギリス水夫の制服を見てシャネルは思いました。
「ニットや木綿、ウールという丈夫で実用的な素材、海の上で美しく映える紺と白の色の組み合わせ。
なんて美しいんだろう」そこで「マリンルック」を開発し、売り出したところ、爆発的な人気になったようです。

自然と調和した服装、実用的な素材。シャネルが一貫して求めているものです。

ブレませんね。シャネルさん!

7)ビジネスセンス、時代を読む力

変わらない物が真のラグジュアリーと知りつつ、そこはお仕事、ビジネスの為に季節ごとに新作を送り出していました。
また、宝石を使わないイミテーションに飛び切り高い値を付けました。安く値段をつければ、それはただの安物です。
CHANELという「ネーム」が「バリュー(価値)」になると知っていたのです。
また、自社製品に自分の愛称(ココ)のCCというイニシャルをロゴマークにして付けました。これは後にあらゆるブランドが真似をしました。ブランド信仰の誕生です。

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出典先:http://logomarkmania.seesaa.net/article/198371387.html

シャネルは言います。「モードは芸術ではない 商売だ」と。
1954年にパリのファッション界にカムバックし、翌年シャネルスーツを発表した際には、上流階級の女性や、映画などの女優の衣装を沢山作ったそうです。大衆の為のデザインの新しさと特権意識、シャネルにはこういった2重構造的な思想がありました。

また、面白いところでは、こんな面も時代の先駆者でした。
自社ブランドのお針子達に、2週間の有給休暇を交代で取らせました。そしてシャネルが用意した従業員用の宿舎に無料で宿泊させました。今でいう企業の保養所です。交通費も出したようで、それも列車のいい席を用意させ、お針子達を感動させたということです。今の社会保障制度を先取していますね。

常に時代の先を読み、実行する行動力と企画力はさすがです。

幼少期のことや、戦争など波乱万丈のシャネルですが、生涯独身を貫き、仕事に生きました。
自身、超一流のお針子で、特に鋏使いが得意だったそうで、モデルに着させたまま切ったりもしたそうです。
また、生涯付き合いのあった女性の親友は一人だけだったとか。
ピカソに片思いしていたが、既婚者だった為、親友になったなんてエピソードもありました。
多くの芸術家達とも親交はあったようですが、学ぶべきことは学ぶけど、それに影響されすぎず、自分を貫くのがシャネル流。恋多き女性だったようですが、自由にかつ一本気に時代を駆け抜けていったかっこいい女性です。

「自分の感性を信じて進め!」

そしてその通り生きたシャネルさん。
なかなかこうは生きられないけど、このポジティブさは見習いたいなと思いました。

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出典先:http://ameblo.jp/beautycloset/entry-10852168854.html

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